仕事を辞めてまでなぜプロフットバッグプレイヤーになったか。
僕は2008年4月から2011年の8月まで株式会社コムデギャルソンという会社で働いていました。
当時は新宿伊勢丹メンズ館のコーナーコムデギャルソンというお店で働いていました。
入れ替わりの激しいアパレル業界で約40年もの歴史を持つこの会社になぜ入れたのかいまだによくわかりません。
書類審査と面接2回(僕のときは)その最後の面接が社長との1対1。
その面接も5分くらいで終わってしまうような会社なのでほんとにファーストインプレッションで決めて頂いた部分もあると思います。
僕は就職活動をカナダにワーキングホリデーに行っていた関係で大学4年生の4月という遅い時期から開始しました。
受けた会社はアニエスベーとコムデギャルソン。
両方とも内定をもらいました。(自慢!)
そんなせっかく入れたコムデギャルソンを辞めてまでなぜプロフットバッグプレイヤーになったのかを綴りたいと思います。
皆さんの今の現状、想いと照らし合わせてもらえれば嬉しいです。
一つ目の理由。
実際コムデギャルソンでの仕事は非常に楽しかったです。
様々なお客様と交流ができたりだとか会社の同僚もとても良い方ばかりで楽しく働く事ができていました。
その当時僕の夢はプレスという仕事に就きたいという思いを持っていました。
雑誌に掲載して頂くために服を貸し出したり、パリコレでバイヤーの方へ案内を行ったり。
いわばブランドの広報です。
たった1年を終えた頃、本社に直談判で「プレスに入れてもらえないか」頼みに行きました。
話を聞いてくれたのは会社設立から携わっているプレスの方。
もちろん1年そこらの若手がまだまだ入れる余地は無かったのですが、会社には「意志」が伝わったと思います。
そしてこんな若手に対し、真摯にそういった方が話を聞いてくれた会社が好きでした。
そんな行動を起こしてまでプレスになりたかった自分ですが、なぜそこから方向転換したか。
ここがまずプロフットバックプレイヤーになろうと思った理由の1つ目ですがこのプレスという仕事、とても魅力的ではあったのですがやはりもうすでに「世の中に」ある職業なんですよね。
勤務しているうちにプレスの人たちとも交流を持つことが出てきていて仕事の内容自体はどういったものか直接聞いたりしてわかるようになってきました。
毎年パリコレにプレスは行くのですが自分もそういうところで働いてみたいと思った。
華やかに見えてとても苦労の多い仕事だという事は理解していましたがそれでもそういった第一線で働くことを夢見ていました。
ただ前述したようにその「仕事内容がわかっているもの」を目指すことに自分の中で違和感を覚え始めました。
「このままでいいのか」自問自答する日々が続きました。
こういった想いが芽生えた事がプロフットバッグプレイヤーになる事を選んだ1つ目の理由です。
2つ目の理由。
フットバッグはもちろんプレーするだけでも最高に楽しいのですが、元々は1972年にアメリカの病院でお医者さんが膝を手術した患者さんのリハビリのトレーニングとして靴下に豆を詰めて蹴ってもらったのが発祥でした。
そうしたリハビリのトレーニングや他のスポーツの体幹や股関節トレーニングとしても凄く有効なモノという観点にも興味を持ちました。
他のスポーツや様々な年齢層の方にフットバッグを楽しんでもらえるんじゃないかという可能性を感じました。
そしてストリートスポーツとしての格好良さも!
プロフットバッグプレイヤーになってこの可能性あるフットバッグ文化を発信したいと思ったのが2つ目の理由です。
3つ目の理由。
そして僕がプロフットバッグプレイヤーを目指した理由の最後はの1つはやはりフットバッグが最高に楽しかったからです。
もちろん洋服の業界での仕事もとても楽しかったんです。
ここが悩まされました。
楽しいと思える事を辞めるというのも結構大変でした。
だけどそれは自分にとってベストなものではなかった。
仕事から自宅に夜10時頃に帰ってきて夕食後、フットバッグの練習に向かいました。
大体深夜0時から2時くらいまで立体駐車場とかで練習をしていました。
冬場は寒いし、変質者扱いされて通報され警察に呼ばれた事もありました。
それでも毎日練習するくらいフットバッグが大好きだったし情熱が冷めなかったというのは非常に大きいです。
こうして並行して働きながらもフットバッグの練習には熱が入り、仕事を1週間ほど休んで世界大会に行く事を会社に懇願したりと(上司が良い方々で人にも恵まれました)どんどんどんどんフットバッグが好きになっている自分がいました。
僕と同じ時期に始めた人や学生だった人が社会人になるのきっかけにフットバッグをやめてしまうという人をたくさん見てきました。
自分ももしかしたらそうなるかもしれないなという想いを頭の片隅に持ちながら仕事を続けていましたが真逆でした。
そしてこのフットバッグを仕事にする事ができたら人生において自分の中ではベストなんじゃないかと思うようになりました。
ただやはり前例がない事ではあったので非常に恐さもありましたし成功することができるだろうかと不安に感じてチャレンジしようか悩んだ時期もありました。
ただそれでもフットバッグが好きで仕方がなかった。
フットバッグの練習を続けてこれたこの情熱に、自分自身が可能性を感じてここは思い切ってチャレンジしてみようと決意した事が3つ目の理由です。
実際にプロフットバッグプレイヤーになって感じたこと。
実際2011年の8月いっぱいで株式会社コムデギャルソンを退職し9月から独立してプロフットバッグプレイヤーという道を歩み始めました。
初めも今もたくさん大変な事がありました。
初めはスポンサー企業を見つけたいと思い、300社程メールを送ったり社長に直接手紙を送ったりしました。
ただそれは非常に難しい事でした。
普通なら「そのスポーツは知っているけど君は知らないから難しい」という事もあったりしますが、僕の場合は「そのスポーツすら知らない」という状況だったので今思えば無謀だったなと思います。
話を聞いてくれた企業もありました。
それでも最後には「このフットバッグを成功させるのは難しいと思うよ」と一蹴されてしまった事もありました。
ただこうして初めは全くうまくいかなくてもこの活動を知ってもらって共感してくれた人達が支援してくださったおかげで段々と形にはなっていくんだなという実感を得ました。
今では5年が過ぎましたが徐々に世間に知ってもらえるようになってきています。
先日書いた記事のようにフットバッグだけがテレビに出たりとそんな事は5年前には考えられませんでした。
空手にフットバッグが良いトレーニングになるなんて5年前には考えられませんでした。
自分が監修したフットバッグを全国で販売されるなんて5年前には考えられませんでした。
全ては自分の思考が洗練されていって「出会い」から協力してくれたり応援してくれる方々がいたおかげでその方向に向かい、広がりを見せています。
本当にありがたく思います。
これからもプロフットバッグプレイヤーとして世界大会に挑戦を続け世界にフットバッグを知ってもらい文化として根付かせていくのが使命だと感じています。
他の人じゃない。自分がどうしていきたいか。
ほかのフリースタイルのジャンルでも同じような志を持った人間と接する機会が増えお互いを高め合う事もできるそういった環境になってきている事は僕としても凄く嬉しく思います。
自称だったプロフットバッグプレイヤーというものが今はしっかりと現実になったので今後も2人目、3人目のプロフットバッグプレイヤーになりたいという選手が増えてくれるように、周りに不安を与えないように自分がしっかりとフットバッグを確立していきたいと思います。
もしこれから就職する方や今仕事をしていてその仕事に満足していなかったり辞めたかったり楽しくなかったりと悩んでる人がいたら少しでも僕の想いを参考にしてもらえると嬉しく思います。
1度しかない人生なので恐いけれども自分のベストを求めて思い切るべきだと思います。
もちろん会社に属して頑張っている人を否定しているわけではないです。
僕も一度それを経験してきたから仲間と分かち合う達成感ややりがいは格別の物があると思っています。
お金も安定しますし良いですよね(^o^)
大事なのは自分の気持ちと向き合って今の状況がどうか。
もちろん先がどうなるかはその時も今も誰もわからない事です。
僕も着地したわけではなくて今も日々模索しています。
けれどもそこをなんとか形にしていくという精神を持つ事ができればたとえ今の仕事を辞めたとしてもうまくいくかもしれません。
それを本気でやっている姿を見てもらえるくらいになっていればそれを見ている人は必ずいるのでそこからまた新たな出会いやきっかけによって人生が楽しくなっていくんじゃないかなと思います。
みんなが楽しめる世界になればベストです。
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